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第10回(2018年7月16日)

学習する環境があるということ

自然災害は、いつ、どこで発生するか、事前に予測することはとても難しいです。 先日の豪雨によって日本各地で大きな被害がもたらされて、特に広島・岡山付近は連日のように報道がなされています。
今回の豪雨の死者が今朝の報道で200名あまりとなり、(長期的な)避難所生活を余儀なくされている方もたくさんいらっしゃると思います。
これについて書きたいことはたくさんありますが、また長くなってしまうので本題に入ります。

避難所生活を余儀なくされた子どもたちは、当然ながら(…という表現が良いとは思えませんが)勉強することができません。 その子自身やご家庭が罹災していることもありますし、その学校で指導されている先生自身も同様かもしれません。
一部の報道では、夏休み前の再開はできず、早くても2学期からという学校も多いようですが、今の現状を見る限り 9月からの再開も難しい学校も少なくないのではないかと思います。

福岡市では(自分の知っている限りでは)ある中学校でグラウンドの法面(のりめん)が崩落したそうですが、幸いにも 人への直接的な被害はなかったと思います。
安全面を考慮して6日の学校は臨時休校とされた学校も多いですが、9日からは通常通り行われています。
自分は市内3か所で学習支援活動をしており、6日・7日の学習会は安全面を考慮してお休みになったものの、8日からは通常開催となりました。
参加している子どもたちは いつもとそれほど変わらない様子で学習に取り組んでいました。

前置きが長くなってしまいましたが、この「いつもと変わらず学習できる」環境がどれほど素晴らしいことなのか、 それを子どもたちが実感するのは とても難しい課題のひとつかもしれません。
もちろんテレビや新聞のニュースなどを見て、それぞれが感じることはゼロではないと思いますが…。

昨日、岡山県のとある学習塾が、周辺で避難している学生に対して(塾生であるかどうかを問わず)無料開放して、 塾のテキストを使って勉強している、というニュースを見ました。 塾生でないのに無料開放して、さらに(有料であるはずの)塾のテキストを渡す…平常時では絶対に考えられないことです。
その塾の運営者は、少しでも地域の子どもたちへの助けになればという思いで開放したそうですが、それを受ける側(子どもたちの立場)から見れば 自分自身の生活さえも大変なのに、その場に出向いて勉強している、ということです。

一般に(…というくくりも失礼かもですが)、子どもたちは口をそろえて「勉強なんかしたくない」と言います。 しかし、先の学習塾に来ていた子は 取材に対して「久しぶりに勉強できてうれしい」と答えたそうです。
自分が活動している学習支援活動の教室でも、自らの意思で参加している子もいれば、若干名ながら受け身的に(親から 参加するように言われて)来ている子もいます。

どちらが良くて どちらが悪い ということを言うつもりはないですが、そうやって"何も求めなくても学習できる環境がある"ことが どれほど恵まれていることなのか、そんなもどかしいことを考えた次第です。